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短編小説 - 崖の男 -



「崖の男」


僕はどこかの知らない道を歩いていた

知らないといいながらも、なぜかとても懐かしい気持ちの道だ。

その時、ここの風景には、似合わない音がする。

その音は最初は心地よく響いて聞こえていたのだが、ふっとその音の正体が分かった途端

暗い気持ちになり、次ぎの瞬間をベットから手を伸ばし、その音ありかを突き止め、消した。


朝の5時、まだ外は暗かった。 

僕は、ベットの中で仮病の案を考えてみたが、いつものことながら、いい案は浮かばず、

ベットから出た。

そして、いつもの遺体切断工場へ向かった。

このバイトもそろそろ一年近く続けているが、決してこの仕事が好きなわけでもなく、

街にでて行くための資金を貯めるまでの仕事として割り切っている。

言っておくが、遺体といっても豚や牛それに鳥などである。

普通にいうと「肉屋」ということになるのだが、僕にとっては「遺体切断工場」のほうが相応しいと思えてしまう仕事である。


家から肉屋までは、車で30分ほどだが、この時間は僕にって、一日の中で最も

好きな時間だ。 特に途中、崖の端の道を走るときは、空が白み始め、海が青白く輝きはじめる

いつ見ても、同じ風景はなく、季節ごと、天気ごとに、その色彩は変化する。

そんな道を走っていると、

「また、あの男だ」

こんな時間にここで人に会う事なんて滅多にないのに、

ここ何日か、同じ場所で、あの男と出会う。

ねずみ色のコートを着て、俯いて崖沿いを歩いている、

しかし、その歩みは恐ろしく遅く見え、実際歩いているのかどうか、

車で通り過ぎる僕には判断ができない程だった。

初めて見た時は大して、気にもならなかったが、

毎日、同じ時間、同じ場所を歩いているあの男が妙に気になり始めた。

でも、話しかける気にもなれず、ましてそんなことをしていたら遅刻してしまう。


そして、あの男を始めて見たときから2週間が過ぎた

いつもの、カーブを抜け崖の道へと差し掛かった

毎日見ているあの男の後ろ姿が小さくみえてきた。

そしてその小さな背中がどんどん大きくなっていく

僕は慎重に運転をしながらも、その背中を目で追っていた。

そして、いつもと違う事がおきた。

その男が振り向いたのだ。

その顔を見た時、無意識にその男の側の路肩に車を止めていた。

その男は暗い表情でこちらを見ている。

僕は、殆ど無意識に車のドアを開け、その男に近づいていった。

「おはようございます、大丈夫ですか?」

他に言いようがなかった。

「やぁ もちろん大丈夫だよ」

その男の顔がぱっと明るくなり、まるで僕が車を止めて話しかけるのを

何年も待っていたような顔だ。

「散歩ですか?」

「まぁ そんなところかな・・・・君はもう直ぐここを出て街にいくんだね」

え! なんで僕のことを知っているんだ、それも街に出て行く計画はまだ誰にも話してないというのに

なぜこの男はその事を知っているんだ。

そんな僕の動揺など無視するかのように、その男は続けた

「それは、やめた方がいい、君はここで十分幸せになれるし、街は君には合わないよ」

「でも、ここには何にもないし、・・・街にいけばチャンスもたくさんあると思うんです」

「そうか、どうしても、ここを出て行くんだね」

男の顔は、元の暗い顔に戻っていった。

そして、俯いて崖の道をゆっくりと歩いていった。

僕は黙ってその男の後ろ姿を見ていたが、ふっと我に返り、時計を見た。

そして、車に乗り込み、何もなかったように遺体切断所へ向かった、

ただその男の横を通り過ぎる時、男の横顔をみた、俯きその目からは涙がこぼれているような気がした。


その日以降その男を見ることはもうなかった。

ぼくは、街へ行くだけのお金を貯めると、計画通りに街へ出て行った。



街へでてからの僕は、猛烈に働いた。

街には確かにチャンスの紐がたくさんぶら下がっていたが、

それを掴もうとする人間もそれ以上にたくさんいた。

だから、寝る間も惜しみとにかく働いた。


そして、30年後、私はチャンスの紐にどうにかぶら下がることができた。

小さいながらも会社を起こし、それなりに成功を収めていた。

しかし、長年の無理が祟ったのか、私は体を壊し、事業も大きな負債を残し倒産させてしまった。


何もかも無くした私は、鞄1つでここに帰ってきた。

そう、まだ私が若いころ一番好きだった場所へ

最後のなけなしの金で、崖のそばに家を借りた。

そして朝日が昇るまえに散歩に出かけ、昼間はずっと

海が見える窓辺で過ごした。

体はぼろぼろになり、残りのお金も無くなっていった。

もう全てが静かに終っていくのをここで待つしかなかった。

いや、もう終っているかもしれない。

それすら、よくわからなくなってしまった。

ただ、朝の散歩だけは欠かさなかった。

そしてある日の朝、一台の車が後ろから近づいてきた、

振り返るとその車は私の直ぐ後ろに止まった。

そして、その車から心配そうな顔をしたまだ若い男が降りてきた。








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